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お知らせ

視野の狭さと応用力

「固定概念」や「視野の狭さ」は、人間の知的興味や成長を妨げる最たる障害物である。

これに対して、一定のルールで定型化された技術を学ぶ際には、ある意味で視野が狭く、固定化している方が、
学習内容に疑問を感じることもなく、反復による練習も苦にならないため、スムーズな習得につながるケースが多い。

問題は、学んだ技術をどう活用するのかを研鑽する場合である。

意味も解らずすべてを覚えることができたとしても、
それを実際の仕事に現実的に適用できなければ、まったく意味がない。

一例を全てと思い込んでしまい、応用がきかないというのが典型的な例である。

視野の広さとは、世の中の事象や学問の内容に常に疑問を持ち、
現実にあてはめて考えてみることである。

定型化された学習に優れた学習者もいれば、逆に応用力に優れた受講者もいる。

研修の現場では、このギャップを埋めることに常に苦心しながらも、
より確実に、実際に使える知識を伝えようとしている。


三という数字

三種の神器、三大祭り、三日坊主、三度目の正直等々、昔から、三で括る表現が非常に多い。

 

政治・ビジネス・世相に関しても使われ続けている。非核三原則、3K、3高、アベノミクスでは3本の矢(毛利公に申し訳ないような気もするが・・・)など、きりがない。

 

今日の新聞には、3Kが復活とあった。3Kといえば、<キツイ><汚い><危険>という職種の話ではなかったか・・・?読んでみると<交通費><交際費><広告宣伝費>を企業が使い始めたとある。

 

要するに、景気上向きか?という記事。恐るべし「3」。

 

 

今どきの若い奴ら

大人の物言いとしたり顔に強く反発した若い頃。

誰でも経験があるのではないだろうか?

 

私も年に不足が無くなった現在でもなお、「大人」の物言いが嫌いである。

 

<そのケースはこんなリスクがある>

 

<経験から言うと~だな>

 

<老婆心ながら言わせてもらうと・・・>

 

<今どきの若い奴らは・・・・>

等々、発言にムカっとすることは多々ある。

 

日進月歩も甚だしい昨今、スマホも使っていないジジイが何を言っているのだ。

 

自分自身も、ネット社会にどっぷり浸かった平成世代の感覚に到底かなわないことは自覚している。

しかし、この違和感は何なのだろうか?

先哲を斜視する自分の狭さも情けないのだが・・

きっと、自分も若者から同じように見られているのだろう。

 

<今どきの若い奴らは・・・・>

 

このフレーズは永遠に続く。

 

 

 

時間

あと、どれ位時間が残っているだろう?

 

もちろん死ぬまでの時間である。

寿命が延びたとは言うものの、誰しも残された時間には限りがある。

 

今から40年生きると仮定して、40年×365日+9日で14,609日。

14,609日×24時間=350,616時間である。

日数だと多く感じるが、時間数にすると少なく感じる人が多い。

 

余命時間数を仮定して時間の使い方を考えると、無駄な時間を過ごしていることが、いかに愚かしいことか理解できるはずである。

 

のんびりする時間は大切だが、無為に過ごす時間は極力節約したいものである。

 

 

過去の使い方

過去の事象は、事実であり経験である。

時にはそれが、自慢や反省の材料となる。

 

数字の世界も過去のオンパレードである。

 

「観測史上最高の・・・」「史上最多の・・・」「リーマンショック以降最低の・・・」等々・・

枚挙にいとまがない。

我々が、過去の経験則を大きな判断基準にしている証拠である。

 

しかし、経済社会は

過去を検証しながらも、全て現在以降の見通しで動いている。

 

将来予測の道具として過去データを活用するという解釈が正しいのであろう。

 

それも疑問に思えてくるほど、社会変革のスピードは加速している。

 

 

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